2012年10月29日月曜日

ジャカルタ便り・・・その1


語学力を武器に海外特許事務のスペシャリストとして働いてこられた北神うぐいすさんが、
定年を機にインドネシアで働くことになったと聞いたのはつい数か月前。
どんな生活を送っておられるのかと思っていたら、興味深いお便りをいただいたのでご紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・北神うぐいす
私は今年の6月下旬からジャカルタの弁護士事務所で働き出し
約4か月が経過しましたが、あまりにも日々いろいろなことがありすぎて、
1年位滞在しているように感じます。


60歳過ぎてからの再就職がジャカルタになるなんて、自分自身も想像もしなかったことで、周りもみんな驚き、あきれています。日本での仕事を退職した時に、丁度タイミングよく、こちらでの仕事の話を頂き、閉塞感のある日本で再就職するよりも、日本の高度成長期にガツガツ仕事をしていた世代としては、まだまだ発展していくことが期待できる社会で働くことは面白いだろうなと思い、こちらでの仕事を決断しました。確かに面白いと言えば面白いのですが、この歳で初めて、旅行ではなく、インドネシア社会、いや、外国で仕事・生活をすることは、やはりかなりのエネルギーが要ります。













今、インドネシアは多くの国が今後の生産拠点として注目しており、外国企業の進出が増加してきてインドネシアの経済は非常に活況の様です。また、消費市場も非常に好調のようです。私のオフィスのあるスディルマン通りは、ジャカルタの一番のオフィス街で近代的なオフィスビルやホテル・レジデンスが立ち並んでおり、各国のビジネスマンが行き交っております。
私は、オフィスが入っているビルの近くのワールドトレードセンタービル(WTC)敷地内の風景がお気に入りで、時々ベンチに座って、南国のオフィス街の風景を楽しんでいます。

しかし、一歩裏通りに入れば、ローカル色豊かな露店や簡易食堂が立ち並んでいて、また、インフラ整備なんて全くできていないので、歩道に大きな段差や、穴が開いていることがあるのは当たり前で、溝には生活用水の汚水が溜まっているので、日本人のおばさんとしてはどこかに苦情を言いに行きたくなります。また、この生活汚水は、最終的にはどのように対処されるのであろうかと興味深く、日々観察しています。










そんな中で、この4か月間で、日本では殆ど医者にかからなかった私が、極度の水あたり、喉頭炎、声帯炎症、帯状疱疹という病気にかかり
そしてサバイバルしながら、この赤道直下の国で働いています。
あまりにも清潔で、便利な日本の生活から考えれば、とんでもないことが一杯あります。それでも、なぜか、今暫くこの国で生活してみたいと思うのは、
今の日本にない活気を感じられるからと思います。
また、アバウトさも時には苛立ちますが、
なんとなく、そのkira-kira(凡そ)の生活感に気楽さを感じることも否めません。

このジャカルタの生活をこれからも、
いろいろとテーマごとに写真とともにレポートしていければと思います。

世の中にはいろいろな価値観があり、生活があることを肌で感じてほしいと思い、
娘を留学先に送り出したのに、自分はというと、年とともに感性が硬直してきています。
北神うぐいすさんのしなやかさに脱帽&拍手!!
次回のレポートを楽しみにしています。